フィリピンの見所!穴場!旅行!色んな情報などを共有しよう

フィリピンに旅行の参考や注意点、この国の良い所を知ってもらいたいです。

イントラムロス:サンチャゴ要塞

スペイン統治時代を代表する建物。
フィリピンの国民的英雄、ホセ・リサールが囚われの身になっていた場所。
処刑当日に彼が処刑場に向かったときの足跡が残っている場所です。

ホセ・リサールとは?って思う方がいると思いますので...
少し説明

スペイン植民地化のフィリピンで民族独立運動に起ち上がったが、1896年(フィリピン革命)刑死する。
ホセ=リサールはフィリピン独立運動の初期の指導者。
5代目世代の華僑系メスティーソ(混血)、ドミニコ修道会所有の農園の小作農であったが、教育の機会に恵まれマニラのサント・トマス大学で医学を学び、21歳でスペインに留学した。
マドリッドで同じく留学中のフィリピン人と会い、フィリピン人はスペイン人に劣るのではなく、足りないのはただ教育の機会だけだと考えるようになり、同胞を啓蒙して、スペインの従属すから解放することに使命を見出した。
フィリピン民族同盟を結成


1887年に『ノリ・メ・タンヘレ(私にさわるな)』、91年に『エル・フィリプステリスモ』を出版し、激しくスペインの支配を告発した。92年、マニラに戻り、社会改革を目ざすフィリピン民族同盟(リガ)を結成したが、ただちに総督によって逮捕されミンダナオ島に追放された。96年、かねて志願していたキューバへの軍医としての派遣を許可され、ミンダナオ島を離れたおりから8月、ボニファシオらが組織した独立派の武装組織「カティプーナン」が蜂起しフィリピン革命が始まると、リサールもその指導者のひとりとして再び逮捕され、簡単な裁判にかけられた。リサールはこの蜂起には直接かかわってはいなかったが、有罪とされ、12月30日に銃殺刑となった。この日は現在、国民的英雄リサールの命日としてフィリピンの祭日となっている。


その為、フィリピンでは英雄として銅像などもあります。

牢獄されていた場所も残っています。
又、1571年から150年の歳月をかけて建造されたとしています。


その後、イギリスやアメリカの軍司令部なり...
太平洋戦争中には日本憲兵隊の本部が置かれた。日米の戦争で破壊!!
その後修復され現在は公園として観光などに訪れるようになりました。


昔の建造物や戦争の足跡などが残っているフィリピン!
フィリピンにも良きところは沢山あります。


少しでいいので良きところを知ってくださ~い。